2011年11月14日月曜日

入院日記1

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11月15日に右目の網膜剥離にて硝子体手術を受けました。
私の場合は、右目は先天性白内障にて弱視であったため、自覚があったにもかかわらず散瞳困難で眼底検査での初期発見が難しく剥離が進んだようです。裂孔3箇所、第3、第4象限の黄斑を含む剥離、網膜どうしの癒着有り。硝子体手術にて復位。(手術内容に興味のある方は、ぐぐっていただければと思います。)
自分のためにさかのぼって経緯を記録しておこうと思います。(後でいろいろ便利なので)


ことの始まり。
・健康診断の結果眼底に出血有り、との結果で最寄の眼科へ行く。→眼底検査の結果、異常なし。
・今年(2011年)の9月13日、左目の見え方が変(ゆがんでいるような)感じがして同じ眼科へ。
→眼底検査の結果異常なし。「飛蚊症ですかね」、と言われる。

この間、暗がりで左目の隅が光って見えたりする。しかし、かかりつけ眼科の検査では異常無しだったので、神経系の医者へ行こうかと考えつつ日々をすごす。
10月の終わりから11月のはじめにかけて、右目の上のほうが光る水滴様のものが見え出す。右は弱視でもあり、はっきりと見えないのでこっちの目も飛蚊症かと思って数日過ごす。水滴様のきらきらした部分が日数がたつにつれ広がってきて、歩きずらいし違和感もあり。
(仕事では仕事量と出張多く、医者になかなかいけない。)

・11月8,9日あたりから違和感とともに頭痛もあるため「これはぜったい変」と感じ、出張先での会議が終わったのち、これからすぐ戻れば眼科に間にあうという時間に新幹線に乗り以前と同じ眼科へ。これでなんとも無ければ神経系の医者を紹介してもらおうと思った。それが11月11日金曜日。

眼底検査の後。
「以前と状況が変わっています。網膜剥離です。随分剥離が進んでいます。すぐ大学病院へ行くべきですが今日はもう受付時間終了ですので月曜朝いちに行ってください。紹介状を書きます。すぐ手術したほうがいいと思います。ああ、でも教授はお忙しいからいないかも...。2,3週間の入院になると思います。ただ、○○さん(←私)の場合、かなり剥離が進んでいますし白内障の手術もしていて、この病気の性質上、右目は光も見えなくなるかもしれません。」

といって眼底写真を見せられた。写真はピントは合っていなかったが半分くらい白濁していた。その部分が剥離しているという。
(注:調べてみると、現在、通常の網膜剥離での復位率(手術成功率)は90%なので、失明の可能性は私の場合に高い、ということだと思う。)

私、呆然。
「でも9月に変だって言って、診てもらってますよね。その時には分らなかったんですか?」
「状況が変わってます。」
医師からの説明はそれ以上無く、かなりにショックのまま、とりあえず会社戻り、11月14日に大きな病院へ行きそのまま休むかもしれないことを伝える。上司はとても心配してくれた。

私の右目は先天性白内障で弱視だったため、小さい頃からどちらかが見えなくなることに対して恐怖があって定期健診も年に1、2回受けてきてたのに...、と、かなり肩を落としました。
土、日は入院の準備もしつつどんよりとしてすごす。
「ああ、右目見えなくなったらいやだなあ、そしたら仕事続けられないかもなあ、気持ち的に。」

+++(2011/11/28記)


・11月14日
受付時間の10分前到着を目指し紹介された大学病院へ。Gさんも会社休んでついてきてくれた。受付開始の8:45より前に受付開始されている模様...。紹介状を渡してカルテ作成を待つ。
9:05 受付より名前を呼ばれ、カルテを持って眼科の待合室へ。
9:40 窓口から名前を呼ばれ、診察室内の待合室へ。視力測定、眼底検査。
若い女性の初心担当の眼科医に「網膜剥離です。」と言われる。(←はい、知ってます、と思った。)

「午後から、(紹介状に名前のある)教授の診察があるので、今後のスケジュールなどお話したいのですが、昼食をとっていただいて、13:00にもう一度来ていただいて窓口で名前をいっていただけますか?」
「やはり手術ですか?」
「そうなると思います。」
気になっていたことを聞いた。
「9月に右目に異常を感じて眼科にかかっているのですが、その時には異常なしといわれました。それは、発見が難しかったのですか?それとも前に診てもらった医師の・・・」(スキルや経験の問題ですか?(A)と聞きたくてもごもご。私はこれ以降診ていただいた先生に同じ質問を繰り返す。)
「以前手術したあとがあり、眼底が非常に見難く、初期での発見が難しいと思います。もしくはまだ剥離が始まっていなかったのかもしれません。」


13:00  K教授による再診。
「網膜剥離です。(←もう3回目の診断...) すぐ手術したほうが良いでしょう。そこで相談ですが、今ここの病院の設備の空きを待っていたら来週半ばになってしまいますので、今日明日にでも手術できる別の病院を探してみますので、あと1時間待っていただけますか?他の病院の設備を借りて私が執刀します。」

分りました、といって1時間待つ。
大学の工学部の先生(特に機械系)は何人も知っているけれど、どの先生もほのぼのした雰囲気を持っていた。が、このK教授はまるで違う。キレる感じ。語尾が断定系ではっきりしている。

1時間後。
「病院が見つかりました。今からすぐに、ここのO総合病院へ行ってください。手術は明日です。」

急展開に頭がついていっていないけれど、同じ質問(A)を 繰り返した。

「先天性の白内障から網膜剥離になるケースはとても多いです。そして散瞳しにくいし眼底が見えにくい。初期で発見するのはよほどの精密な検査をしないと困難でしょう。たしかに、○○さん(私)の手術は難しい手術になるでしょう。でも、(私が執刀すれば)治ります。視力も元に戻ることを目指します。再剥離する場合はほとんどが1ヶ月以内です。きちんと直せば再剥離は手術前よりしにくくなると思います。」とのお答え。

(私が執刀すれば)の部分は先生は言わなかったけれど、私もGさんもそのセリフを先生の表情から聞きとっている。なんだか大丈夫、治るような気がしてきた。医者の先生のこういう言葉は患者をとても心強くする。...しかし。治ります、の根拠が何なのか、とても興味がわく。

「仕事があって、引継ぎしたいのですがする時間ありますか?」
「(苦笑)ありません。」


15:30
Gさんは着替えを取りにいったん自宅へ戻る。
私は紹介されたO総合病院へタクシーで移動。受付はすっとばして眼科にていそいで手術用の検査を行う。
(後でわかったのだが、このO総合病院では大学病院からの医師が目の手術を担当し、術後をO総合病院で診るという連携をとっているようだ。私のような患者がたくさん入院していた。)

合間をみて会社へ電話し状況を連絡する。

視力検査、眼底検査、血液検査、尿検査、胸部レントゲンなど。ここでも右目の眼底写真がなかなか撮影できない。硝子体部が白濁していて眼底まで光が届かないのでピントが合わないらしい。

A医師
「網膜剥離ですね。右目全体が剥離した網膜で白濁しています。もしかして全部剥離しているかもしれません。網膜どうしの癒着もはじまっているようで...これは難しいかも。視野に異常があったあたりから剥離が始まっていたとすると、うーんもう2週間以上か..。何日も剥離したままだと網膜に栄養が行かなくなって死んでしまうんです。復位できないかもしれないし、くっつけてもまた剥離する可能性があります。手術時間もどれくらいかかるか分らないですね。」

B医師
「んー、よく見えない。確かにこの状態での剥離の発見は難しかったと思います。私も分らなかったかも。最後にもう一回だけ写真にトライさせてもらえますか?」

B医師は眼底の写真を何枚もとり、モニターで確認。
「あ、これ撮れてる。あら、ここに神経が見えますね。ここ、まだちゃんと血液が通ってそう。もしかしたら、まだ大丈夫かもしれないわ。」さらに続けて、
「K先生は数多くの手術経験がありいわば天才的な手術をなさいますから、失敗なんていうのはないんです。硝子体手術で1時間以上かかった手術に立ち会ったことはありません。が、網膜自体がだめになっていたら、見えなくなる可能性があります。」

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私がここで非常に興味を持ったのは、対象は私の右目で5人の医師の診断名はひとつなのに、その状況把握の仕方と治る・直らないの判断がばらばらだったということだ。測定機器の性能、機器を操作する使うスキル、これまでの眼科医の診察経験(分析力)と手術スキルによってばらつくのだと思う。
はじめのかかりつけ医は、いつもすいていてゆっくり見てもらえた。けれど患者(診察数)が少ないし結膜炎や目付近の打撲などの患者が念のため見てもらう等が多い(推定)。それに眼底検査の撮影画を見ての判断では眼底にピントが合っていなくてもそれ以上踏み込まないし、手術についての知識も少なそうであった(説明の少なさから。)
一方、O病院のB医師は、検査機器を操作し納得いくまで撮影していた。現状を正確に判断しようという意思が感じ取れた。説明のしかたも的確かつ説明の言葉がとても多かった。こちらからの質問に対して言葉を濁さない。
K教授は、おそらくもっとひどい状態の手術の成功経験があるのだと思う。こんど聞いてみたい。

かかりつけ医をどこにするかというのは難しい。O総合病院は重篤患者も多く込み合っているし大学病院は紹介状必須だし。中途半端に大きな病院であまり上手ではない医師に手術されるのもなあ。それでも初めのかかりつけ医で、K教授を紹介いただいたことはラッキーだったと思う。

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17:00ごろ Gさん、O総合病院に到着。二人で明日の手術の説明を受ける。


(手術説明書の一部)
麻酔は球後注射。下眼瞼から。
右目の白目の部分4箇所から手術器具を差し込む。
硝子体を切除し取り去る。
網膜の破れた部分をレーザーにてつなぎ合わせる。
硝子体があった部分にガスを注入し復位させる。
(このためうつぶせ状態になりガスの圧力で 網膜を眼底に押し付ける。ガスってどんなガス?と思い聞いてみたらSF6だそうな。へー。)

他にもいろいろ説明があり、質問もした。





「球後注射って痛いですか?全身麻酔じゃないんですねえ。」
「小さい子供以外は局部麻酔です。大丈夫ですよ、高齢の方でもがんばっていらっしゃいます。
ああ、でも社会経験の浅い20代前半の子は意外とダメねえ。」

+++
「右目、失明したらやだなあ。(あたりまえだけど)」
「治るよ。だってあのブラックジャックみたいな教授が治りますっていってたやん。」
Gさんと、この会話を何回か繰り返す。


18:00過ぎ  入院手続きをして病院の夕食。
娘も来て、病院の食事をつまんで食べて「ふーん、なるほど。」ここでも彼女はマイペース。
(でもそれなりに心配していたらしい。)

いきなり入院、そして明日は手術かよ、の怒涛の一日が過ぎ、何人かのおばあさまたちと同室の部屋で消灯。眠れなかったらと心配だったので睡眠剤をもらう。


+++(2011/11/29当日のメモから転記)

2 件のコメント:

  1. >小さい頃からどちらかが見えなくなることに対して恐怖があって・・・

    私も生後間もなくの大病の後遺症の為左眼が弱視で、同じような気持ちを持っています。ご心痛お察しいたします。
    手術が成功して本当によかったですね。
    おめでとうございます。

    蛇足ですが20代で受けた瞼周りの手術の時、術後に外泊を申し出たら「目のあたりの血管は細く、血圧が上がり出血でもしたらいけない」と即座に却下されました。
    お身体、ご自愛下さい。

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  2. えびぞう さま。

    自分がレアケースを思いがちですけれど、わりと同じような方がいらっしゃって、
    自分だけじゃないんだなあと分かり合える心強さというのを感じちゃいます。

    私も出張多いんですけどいいですか?と聞いてみたら、
    しばらく宿泊出張は控えるようにと言われました。

    眼だけじゃなく自分の身体、大事に使いたいですね。

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